私の妹②
手足を自由に動かすことはできない。
そんな妹は現在、延命治療をしている。
胃ろうと気管切開と人口呼吸器をしている。
妹は現在は音を発することもなくなったと書いたが、
それは気管切開によるものだ。
気管切開をすると声が出せなくなる。
性格には空気は通るので、マイクで拾って会話をしている人はいるが、
見たことはあるだろうか。
ただ、妹は重度の障がい者なので、息を吐く力が弱いためマイクでも、
その声は拾えないと思う。
おそらく自分自身でも、声の出し方が分からないはずだ。
胃ろうというのはおなかに穴をあけてチューブみたいなものを、
そこから胃まで通す。
そして、そのチューブから栄養を摂取するのだ。
点滴の胃版みたいなものだ。
人口呼吸器は、自発呼吸だけでは、あまり酸素が上がらないので、
つけたり外したりしている。
なぜ酸素が上がらないかというと、現在、肺炎になっているからだ。
性格には誤嚥性肺炎だ。
唾液が食道ではなく、気管のほうに入ってしまい、
肺で炎症を起こすためになってしまう病気である。
そんな状態の妹を、両親が病院で介護している。
交代で。
両親の疲労は見てとれる。
私たちが35歳、34歳なので、両親もそこそこの年だ。
私は現在、この延命治療をやめるべきなんだろうなと思っている。
この延命治療をつづけても妹の状態というのは、
それほど良くはならないのだ。
退院して自宅での生活になっても、ほとんどは今と変わらない生活になる。
現在は我が家では、究極の倫理の世界が渦巻いている。
延命治療をやめれば両親の身体的負担はなくなる。
しかし、精神的なものは寿命がくるまで続く気がする。
もしかしたら、その寿命さえ早めてしまいかねないと私は考えている。
子どもは自分の意思でこの世に生をうけたのではない。
親が子どもを作るのだ。
だから、妹の命を妹以外の人間の判断で決めてしまうのは、
究極にかわいそうなのだ。
両親の考えも、おそらくはそんなとこだと思う。
両親が倒れるのが先か、妹の寿命が先か。
究極の世界で、我が家はまわっている。